11年も前、まだ日本でディベートが普及していなかった頃に、そして、今以上にディベートに対しての誤解が激しかった頃に、ディベートの意義を理解し、ディベートの普及のために策を講じていた方々がいらっしゃいました。
ディベートの普及のための課題は本当にいろいろあった(現在でもなお課題であるものもありますが…)のですが、その方々は「まずは学校でディベートに取り組んでもらおう」ということを優先させて取り組んでいたという印象があります。
その中で決められた、普及させるべきディベートの核となる枠組みが「メリット・デメリット方式」です。(ポリシーメイキングパラダイムの採用)
それに沿ったディベートを、広く実施してもらうために、“専門用語も少なくして”“できるだけシンプルな形式のディベート”が開発されたのだと思います。
その結果として、立論は「発生過程と重要性/深刻性」という形で作成して下さい、ということが推奨されました。(自由席席替えのビデオ等を参照)
それに従って、第1回のディベート甲子園が、1996年に行なわれました。
僕が教員1年目の年です。
… … …
その後、全国各地でディベートへの取り組みが行なわれました。
僕の実感ですが、“より良いディベートとは何か?”という全国的なコンセンサスは特になく、それぞれが理想を追ってひたすらにディベートに取り組んだ時期だという印象です。ただ、当時ディベートに取り組んだ方々を否定する気持ちは何もありません。むしろ、当時一生懸命にディベートに取り組んで下さったことに感謝します。おかげで、私達はその皆さんの後を受け継ぐことができました。事実、そのようにして頑張ったOBOGは現在、教室ディベート連盟で主要な役割を担い、後輩達により良いディベートへの取り組みを推奨しているわけです。『ディベート甲子園OBOG会』も、その一端を担う動きを始める予定です。
さて、第1回のディベート甲子園から5年が経ち、瀬能和彦先生が2001年5月15日発行の教室ディベート連盟会報『トライアングル』内の連載『あーぎゅめんと(第10回)』にて、「問題解決型」のメリットを解説して下さりました。
瀬能先生は、全国の決勝の主審を務めるような御方ですが、ご自身自らも、JDA等で現在でもディベートをされる方です。大学、社会人で取り組まれているディベートは、教室ディベートよりも歴史があり、平行して進化しておりました。
そういった下地から「現状分析」を踏まえ、「プランにて現状の問題を解決する。それは良いことに繋がる」という立論の形式を、中高生に提示されたのだと理解しています。
私自身、JDAの会員でして、MLや過去の資料等に目を通しています。JDAの大会に出場したこともありますし、JDAの大会以外にも、筑田先生とチーム「ツートップ」を組んで、クリスマスカップとハロウィンカップという大会に出場したことがあります。
「TEAMエラ星人」と対戦して見事に叩きのめされ、その時ジャッジだった渡辺徹さんにカウンタープランについ解説を頂戴した試合などは、自分にとって、ディベートについての理解を何倍も深めるきっかけになっています。
そんな中、社会人の方々の肯定側立論は、下記のような形式が多いと思っていました。
(1)定義
(2)現状分析(現場に問題があることを指摘し、いかなる問題なのかを解説する)
(3)現状の問題の深刻性(その問題が深刻で、“放ってはおけない”ことを示す)
(4)プラン
(5)解決性
(6)重要性
プランが、現状分析の後に位置しています。
-----
といった解説を、うちの部員にしたのです(^^;
「君たちが一生懸命に取り組んでいることは、むしろ素晴らしいのだが、残念ながらジャッジに伝わらない立論になっているんだよぉ」
#ここで、「やっていることは立派」と、誉めるべき点をきちんと誉めつつも、不備を指摘するという“部分否定”の形式にして伝えることが、教育的観点からは大事なのです!
「現状分析をして、それが問題(●)だと示し、その問題を解決するためにプランを実施すること、そして問題を解決することが大事だと…それによって、論題が肯定できるのだよ」と…。
・・・ここで、ふと閃いたのです。
「『テレビショッピング』を考えてみなよ」
・・・それを言った瞬間、生徒のほうが僕以上に“分かった”のです!
「あーそうか、つまりこういうことですね」と、高1のI君が、得意の例示を出してきました。
例えば…
男「台所の換気扇、一見きれいそうですが、フィルターを取ってみると…」
女「うわぁー、酷いよごれ…(T_T)」
男「そこで、この洗剤です。
力を入れなくても、こんなにキレイによごれが落ちます。
さぁ、どうですか?」
女「まぁ、とってもきれい(^^)」
この例は、見事に「●→○」でして、「現状分析→プラン(=洗剤)→解決性→重要性」“だけ”で組み立てられています(^^)
さり気なく、“価値”も提示されています。
そこに“価値”が存在することを、見逃さないで下さい。>全国のディベーター
汚い=●、きれい=○です。
なお、この“価値”は、視聴者の価値と合致しやすい、という点にも注目です(汚くてもいい、というケースは稀…なはず…)。ディベートで言えば、ジャッジが賛同して頷きやすい価値が提示されている、ということです。
… … …
ここで“説得力”について触れます。
ディベート甲子園初期の「発生過程→重要性」は、“説得力”の観点から言えば、低いです。
確かに、メリットがある、という説明にはなっています。
しかし「勝手にやれば」「うん、50年後くらいでいいんじゃね?」といった、かなり消極的な賛成、という評価に留まる可能性があります。
そこで、「現状分析●」を持ってきます。
すると、上記のような消極的な賛成者に「現状を放っておいていいのですか?」「今すぐやりましょう!」という立論になります。
“説得力”が増しますよね。
…
こう考えたときに、「テレビショッピング」の例は、奥が深いと思います。
「●現状は放っておけない→○商品で解決する」という説明に成功し、消費者に賛同を得られる、だけではダメなのです。
消費者に商品を買ってもらえないようなCMには予算が付きません
実際に、その商品を買ってもらえて、はじめて“勝ち”なのです。
をを、社会の方がシビアなのです!
ディベートにおいては、「メリットがある」ことに理解が得られた上で、更にジャッジに「(デメリットと比較してもなお)肯定側に投票してもらう」というところにまで至る必要があります。
ただ、テレビショッピングのように「今では分割手数料ナシ」などの、オプション的メリットで付加価値を高めて勝ってもらう、という手法は真似をしない方が良いのかもしれません。
今までのディベート甲子園では、メリットやデメリットを増やし、たくさん議論を出して、「主要な議論がいつも通りの評価でも、ついでに出した議論を評価してもらって…エヘヘ(^^)」という方向性もあったかと…自分もやったかも…と思うのですが、そのために逆に分かりにくいディベートになってしまうのだ、という事実にも目を向ける必要があると思ったわけです。
そもそもの商品が素晴らしければ…
提示するメリット・デメリットが、そもそも納得できるものであるのならば…
凝ったCMでなくても、黙ってても買ってもらえたり、
ディベートでは、最初から有利に試合を展開できたりするのではないでしょうか。
よって、ディベートの中核をなす立論は、まずは●→○/○→●の幹をしっかりと、と思った次第です。
以上、前回「CMの後で(=後日)」と言った話題でした!
最近のコメント