2009.11.08

昇格!

 まさか、教会のバザーでサッカー観戦に行けない日に、他の2チームの結果という条件をクリアして昇格を確定させるとは!

 教会の中庭で、牧師先生からお借りしたラジオを抱きしめながら昇格の雄たけびを上げたではないですか!

 ミニシアターでは「オーシャンゼリゼ」を、混成合唱したじゃないですか!

 「昇格記念の幸せのわたあめ」を10円で振舞ったじゃないですか!

 ・・・前回の京都の時、現地で見ました。
   大分の降格の時も、現地で見ました。

  うーん、現地で見届けて、大勢のサポーターと共に喜びを爆発させたかったなぁ。

 でも、素直に昇格を喜びます。

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2008.11.15

三浦綾子『光あるうちに』の中に!

 以前「祈りは、心に平和と力をもたらす業である。祈りは、わたしたち人間の内面を清めるからである。それは決して気休めではない。」という三浦綾子さんの言葉が、横浜の家庭集会への誘いのハガキに書かれていていたことを紹介しました。

 その言葉が、三浦綾子さんの著作に書かれているのか、著作にはなくて綾子さんが語った言葉なのかが分かりませんでした。「有名な言葉なのかな?」とネットで検索したのですが、全く見つからないのですdespair

 すると、三浦綾子さんのファンの方が集まるサイト(リンク先は音が出ますので注意!)の掲示板から、答えを頂戴できました!

 『光あるうちに』という本の後ろから二つめ「いかに祈るべきか」という章の、中ほどにありました。

 さほど目立つ記述ではありません。
 でも、その記述に注目された方がいる、ということに感動します。

 私も昨年は、このまま教員を続けられるのか?と思うような厳しい局面をたくさん経験しましたが、そういう時に「内面を清める」「気休めではない」祈りの力を実感しました。

 何事もなさそうな平安な時であっても、祈りがなければ、いつ、自分では解決できないトラブルに襲われるか分からない、という実感が今でもあります。

 本当に、祈りの力は、偉大です。

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2007.12.30

明日が今年最期の仕事という御方

 私の通っている日本キリスト教団仙台北教会には、世界に通用するソプラノ歌手、菅英三子さんがいます。

 たくさんのファンの方が応援されているのですが、僕にしてみると、お茶目な教会のお姉様、という印象なのです(^^;
 私は12年前に北海道から仙台へ来たため、菅さんの輝かしい実績を知らずにいましたが、あるとき、菅さんのコンサートのパンフレットにあった経歴紹介を見て「たまげた~」とビックリ。「お茶目な~」とか思っていてゴメンナサイ、と思いましたが、でもやっぱり…(^^;

 今日、教会に英三子さんが来ていまして、「お忙しいだろうに、休息の年末で教会に来れたのかな」と思っていたところ、「明日、今年最期の仕事なの(^^)」とのコメント。

 ・・・え?

 ここは「英三子さん、明日は大晦日だから、明日仕事があれば当然今年最期の仕事ですよねぇ」と、適切に突っ込みコメントしておきました。

 しかしながら英三子さんからは「でもねぇ、今年最後の日まで仕事があるなんて幸せなことなのよ~。仕事の手帳が真っ黒なのは嬉しいの。仕事の手帳が真っ白なのは、ものすごく悲しいの。」とのコメント。

 をを。確かに。
 芸能系の業界では、大晦日まで仕事があることは名誉なこと、と聞いたことがございます。
 世界に通用するソプラノ歌手でも、熱心に仕事をなさるのだなぁと思った次第です。

 やっぱり、歌が好きでなければ、お仕事とはいえ、頑張れないのでは?

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 一方で僕なのですが・・・。

 昨日の夕方まで、物理の講習。その後雑務をこなし、遅くに帰宅です。
 年明け最初の日曜日が、教会での礼拝の司会なので、週報(来週の礼拝での讃美歌や聖書の箇所が掲載されている)を取りに教会へ。

 オフィシャルな動きは、これで終了。
 ・・・って、もう12月30日。

 ふと…講習が始まるのが、1月4日。・・・って何曜日だ?
 ・・・金曜日のようですねぇ。

 ・・・金曜日って、今週?

 って、僕の休みって、日、月、火、水、木…の5日だけかい!!

 休みだけど、こなさなくてはならない厄介な仕事はまだまだあるぞ!

 今日の新聞の占い:水瓶座
ついバタバタと年を迎えてしまう。段取りをきちんとしてミスのないように。

 ・・・やばい!
  今一度、まずは残された仕事、休み中にやりたいこと、家のためにやるべきこと、など、把握し直して、5日間に割り振ってこなさねば!!

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 でも、大晦日まで仕事をされている方もいらっしゃることを覚えて、少しは良い形で2007年を終えて、できるだけ良い2008年を迎えたいと思っています。

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2007.12.26

祈りは人間の内面を清める!

 祈りは、心に平和と力をもたらす業である。祈りは、わたしたち人間の内面を清めるからである。それは決して気休めではない。」
   三浦綾子

 綾子さんの言葉を、横浜で家庭集会を開いている方が葉書に書いて送って下さったものです。

 ものすごい重みのある言葉だと思います。

 毎日祈ると目標を立てた2007年は、本当に苦しい1年でしたので、ひたすら神様に助けを求めていました。
 朝学校に行く前には、夫婦で主の祈りをして、それから家を出ていました。

 「決して気休めではない」と、綾子さんが力強くおっしゃること、その通りだと思います。

 日々祈って、内面を清めることで、導きの光を待ち望む姿勢を保ちたいと思います。

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2007.12.23

光あれ

 昨日で2学期が終わりました。波乱万丈の2学期でした。これくらいの試練がなければ、僕という人間は成長がないのだろうというくらいに…。

 確かに、3学期になった2008年からは…、来年度の授業のための工夫は…など、考えざるをえないほどの強烈なきっかけをもらっています。

 土曜日は仕事が終わって、帰宅してダウンでした。

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 今日はクリスマス礼拝でした。
 聖歌隊で歌うために、頑張って行きました。
 風邪をひいている人が多くて困りました(^^;。受験生を指導する側としてはこの時期、風邪でダウンするわけにはいかないのです!

 そんな教会にも、行ってよかったなぁと、しみじみ思いました。

 混沌とした世の中に、先の見えない状態の私達に、喜びと救いのメッセージが届けられたクリスマスを覚えて、改めて感謝する礼拝でした。
 聖餐式にあずかりました。罪の許しを、強く祈り求めました。こんな私にも救いの手が届くように、何度も祈りました。

 祈りによって心が浄化できたのかなぁ。(三浦綾子さんの言葉らしいです。後程再アップします)礼拝後、少し心があたたまった気がしました。

 私のところにも僅かに喜びが届いたとき、私はその喜びを、ほかの人にも届けることができるでしょうか?

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 あなたからの光がなければ、私は、歩むべき方向も分かりません。
 光が届きますように。
 光の来る方向に、まっすぐに歩めますように。

 大いなる方に祈ります。この世の最初にお命じになったように

  暗闇が覆うこの世の中に、先が見えずに塞ぎ込む私に、
  様々な重荷を抱えている私達家族に、

    光が届きますよう、今一度「光あれ」とお命じ下さい。

    光あれ。

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2007.12.10

物は、バザーでも余る…

 日本キリスト教団仙台北教会のバザー委員長として、今年度のバザーで売れ残った献品を、リサイクルショップに運ぶ作業をしました。

 …「って、場所は分かるけど、何て言うリサイクルショップだっけ?」とか思ったり(^^;。昨年持って行っていないので、そこに行ったのは2年前。「2年前??そういえば…」・・・そうです。ここのBlogに書いていたのです。
 電話をして、まだ引き取りをしてくれることを確認して、持って行きました。

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 ですが、持って行って言われた一言。

「あぁ。ガラス物ねぇ。最近全然売れないんだよ。(投げ売り用の)100円のワゴン行きかなぁ。バザーでも売れ残るんでしょ。」

 ・・・そうですよねぇ(^^; バザーでも売れ残るもの、って、その程度の物だってことですよねぇ(T_T)

 リサイクルショップに一緒に行ってくれた妻が「古いガラス製品を溶かして新しいガラス製品を作るようなリサイクルはないのかな?」と言っていました。どうなんでしょう?

 物に溢れていて、余している時代・・・を感じました。

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2007.10.07

日曜日に教会に行ってみると…

 3年連続3年目の教会役員ということで、世界聖餐日の今日、パンの配餐係として、またバザー委員長としてどうしても教会に行っておく必要があって、午前中、ちょっとあって仙台駅経由で教会に行きました。

 すると…併設の幼稚園で、CSの子が消火器を倒して、煙だらけに…

 消火器から出た粉を掃除機で吸い込もうとしていましたが・・・更に粉が舞い散るでしょうし、掃除機は目詰まりさせてしまう結果になっているようだし…。

 実は、ティッシュをちょっと頂戴に行っただけだったのですが…片付け、手伝いました。
 こういう粉は、飛び散らせないように、ちりとりで回収し、袋に入れちゃって、量が減ってからぞうきんで水ぶき、または、部分的に取りにくいところだけ掃除機、という方法が良いだろうと…。

#ほかにいい方法がありましたら、教えて下さい。
#ちなみに、片付ける際に注意することとか、ありますか?
#今回はみんな、マスクを付けて作業しました。

 片付け係の大人の側は、少々参っている感じがしましたが、何せ僕は、金曜日に十分に参っていましたから(^^;、さほど深刻でなくて良かった消火栓の粉を片付けるくらいなら、気持ちにゆとりがありました(^^)。みんなを励ましたり、手伝ってくれた子どもを誉めたりしながらの作業でした。
 気が滅入らないように、笑顔を保っての作業…「笑う門には福来る」ですよね。

 ・・・でもまあ、今日から明日にかけては教会全体の修養会ということもあり、また聖餐式も洗礼式もあって…洗礼を受けた人がいるということは、その歓迎会もして…でも消火器の粉の関係で、幼稚園のホールを利用した歓迎会ができずに急遽礼拝堂の後ろで行うことに・・・研修先から送迎バスを呼んでいるのに、それを外に待たせて、「バスの利用の予約をしているのはうちだけなのかなぁ」と心配になったり・・・・とにかく長かったです(^^; 北教会はとにかく忙しくて何にしても時間がかかるという特徴が…(^^;

 天皇杯に行く予定だったら、もう、途中で飛び出していたことでしょう(^^;

 でも今日は、バザーに向けての聖句を偶然に見つけることができたので、消火器の粉の片付けも、受洗者の歓迎も、神様が参加しなさい、と派遣してくれたのかな、と思ったりしました。

 聖句ですが、「コリントの信徒への手紙 ニ 8章1~15節」です(^^)
 バザーを主題にした祈祷会(10月17日(水)19時~)で使うので、忘れないようにここにも書いておきます(^^)

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2007.08.02

3E学級通信:No.07-3

 「変わろう!」「変われるの?」「どういった方向に変わったらいい?」と、呼びかけた本人もその難しさを感じているところですが、先日、その答えのヒントとなる聖書の箇所を聞くことができましたので紹介いたします。

ヘブライ人への手紙 5章 11~14節(新約聖書406ページ)(一人前のキリスト者の生活)
「このことについては、話すことがたくさんあるのですが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません。実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。乳を飲んでいるものはだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。」

 この箇所は、私が通っている仙台北教会に、青森の木造教会から来て説教をして下さった宮島星子牧師が選んで下さった箇所です。非常に示唆に富んでいます。

  • 耳が鈍いと、良いアドバイスなどを聞き入れられない。聞く側の姿勢が大事!
  • 実際に一人前の状態にあっても、安易に“乳を飲む”ような人は、幼子に等しい。
  • 善悪を見分ける感覚を身につけるためには、固い食物を良く噛んで食べる必要がある。

 既に中学3年生である皆さんでも、安易に“乳を飲む”状態では、一人前の大人の状態にはなれないのかもしれません。“固い食物を噛む”程度の困難を乗り越えていきましょう。

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2007.05.12

教会における可哀想な少数派

 教会の役員をやっていますと、司会をする機会が年に何度か回ってきます。

 司会者は最初に、招きの言葉を、聖書から引用します。

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙虚な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい、わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 恐らく、多くの方々が、この言葉の通り、安らぎを感じ、元気づけられ、日々の一週間の生活に戻っていくと思われます。

 ですが、僕は、「ああ、これを言っている僕は、休ませてもらえないんだな」と思いました。
 
迎え入れる側は、一緒に休むわけにはいきませんから。

 牧師先生も大変そうです。

 人を休ませる働きを担う人は、いつ休めるんでしょうか?

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2007.04.13

恐るるに足らぬ13日の金曜日

 「13日の金曜日といえば、キリストが十字架に架けられた日だと言われてるじゃん。それから3日後がイースター・・・あれ?今年、教会でのイースターは、8日(日)で既に終了してるぜ!矛盾してるぜ!!」…

 …って調べ始めたら…(^^;

 まずはそもそも迷信!>13日の金曜日 - Wikipediaをご覧あれ

 ・・・しかも既に、同様のネタを2004年に日記に書いておられる方もいるし…

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 10日、11日と、朝8時から夜遅く(23時近く…)まで働き、昨日はわが家にピー太君が来てくれた記念日ということで早めに(と言っても21時半…)帰宅しているような生活…ちなみに今日も23時近くまで働かざるをえない…といったタイトな状態なのに、「よっしゃ、Blogにこのネタをかましたれ~」…と張り切ってみたものの…終わってみれば「ちゃんちゃん(^^;」でした...

 睡眠時間確保のため退却!

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2007.03.22

『宮嶋家の居間で』

 春分の日は、三浦綾子さんの初代秘書だった宮嶋裕子さんのご自宅に、三浦綾子作品をこよなく愛するメンバーが集って、美味しい食事を頂戴しながら交友を深める『宮嶋家の居間で』が行なわれました。

 『宮嶋家の居間で』は、宮嶋さんが秘書時代の話題を綴った『三浦家の居間で』にもじったネーミングです(^^)

 私自身、三浦文学に触れるということは…というより、文学に触れるという経験の少ない人間ですので(^^;、三浦文学については妻に譲ります(^^ゞ
 ただ、そんな妻と旅に出る中で、三浦綾子文学館や塩狩峠を尋ね、それぞれの施設で展示されている三浦綾子作品の解説を読んで、感銘を深めてはいました。
 更に、三浦綾子文学館で三浦光世さんにお会いして貴重な言葉を頂戴し、更には三浦光世さんの仙台講演のお手伝いという形で、光世さんの来仙を迎えたりなどしました。

 仙台駅を、朝7:14のスーパーひたちで勝田まで、そこから車で、ひたちなか市の宮嶋さんのご自宅まで送って頂きました。

 毎年女子聖学院の中3生を旭川に連れて行き、光世さんの講演を頂戴するという企画を行なっているのK先生の司会により、三浦綾子記念文学館でボランティアをされていたコッコさん(リンク先は音楽が鳴ります)の証しを伺いました。
 その後美味しい昼食を頂戴して、三浦綾子さん・光世さんがご健在の頃、テレビの取材を受けたビデオを見ました。
 更に、途中で終わっていた自己紹介を続けて、全員の自己紹介が終わったら…もう早く帰る人は帰る時間(^^;。電車の関係で、僕が一番最後に帰ることになり、パイプ椅子や机等を片づけるお手伝いをしてから帰りました。

 集まった人の中には、大学院で三浦綾子作品の研究論文を書くというY君、職場で三浦綾子作品が好きだという人に出会えて感激だったというMさん、僕が初めて担任をした時の生徒の保護者であるKさん、実は函館出身で、函館ラサール高校の2期生だというNさんなどがいました。
 Y君のように、三浦作品を研究してくれるのは有り難い話で、作品のみならず、背景となるキリスト教的な哲学、三浦綾子さん、そして光世さん、更にはその作品に共感する人達の思想をも含めて、総合的な分析を加えた論文にして欲しいものです。
 Mさんのように、三浦作品に熱い人は、『宮嶋家の居間』に来ると、更に感動ものだと思います(^^)

 最後に、三浦綾子さん・光世さんに関わるグループに連なると、どうしても秘書の宮嶋裕子さんが目立つ存在なのですが、裕子さんの旦那様は(裕子さんもなのですが)、北海道・札幌の教会で青年活動をされた僕の先輩に当たる人です。ということで、クリスチャンセンターとか札生協とか、当時の青年で僕も大学生時代にお世話になった、二人が共通に知っている人の話題をたくさんしました。宮嶋さんの旦那さんにとっては、こんな感じで話の合う来客が来たのは、3回目にして初めてだったのでは?と予想します(今まで集まったメンバーを想像するに)

 ということで、17:13に、勝田から仙台まで再びスーパーひたちで帰宅したのでした。

 神様の導きに満たされているような1日で良かったです。

追伸:記念撮影中に、ベガルタの逆転勝利を携帯で確認しました。
 前半リードされている時にはどーなることかと思っていました。
 リャン×2のゴールも、神様の導きか!? これも嬉しかったです(^^)

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2007.02.11

Q:色紙用のファイルってあります?

 長年、ディベート部を率いて大会に出場し続けていると、対戦校から頂戴する色紙が溜まってきます。

 これを、アルバムのように閲覧できる形で保存したいなーと思っています。

 他校の顧問の皆さんはどうされているのでしょう?

 よく考えると、色紙って独特の大きさですからねぇ。

 今日も、街中の文房具店で「色紙をファイリングしたいのですが、適した商品はありませんか?」と聞いたら、即答で「扱ってません」と…。

 実はネットで下調べをしていたんです。
  http://www.yumegazai.com/default.asp?cd=1104060000

 部費が残っているので、今年度中にネットで購入しちゃおうかなぁ。

 より良いアイディアや情報をお持ちの方、アドバイス頂けると幸いですm(_ _)m

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追伸:2月11日の普通の日記

  • 教会へ行き、注文を受けたバザーの写真を配布。
  • 榴ヶ岡高校ブラスバンドの演奏を残念ながら聞けずに、教会を去る。
    顧問の最上君の指示に気持ちよく返事をしている部員たちを見て、新鮮な驚き。
    しかも最上君の指示にまろやかさを感じた。昔の彼とは印象がだいぶ違うぞ(^^;(いやいいことなんだけど(^^;)
  • 一旦帰宅して、10分睡眠(^^;
  • 『2.11信教・思想・報道の自由を守る宮城県民集会』に参加
    柳父圀近先生の講演を聞く。
    さすが、宮田先生と共に仕事をされた先生、頭がいい!
    特に、ナショナリズムの形成と国民がどのようにアイデンティティーを求めるのか、といった話題について、基礎的な話を学べて良かった。
    そういえば、先日の『東北ディベート交流研修会』で本校OB2人と僕とで即席チームを組んで行なった試合で、U君がフランス革命に端を発し、国家と国民の関係について説き、その観点から裁判員制度の是非について問題を投げかけた。それを思い出しながら話を聞いていた。
  • 今回の柳父圀近先生といい、先週上京して参加した『教員1人1台時代のICT活用フォーラム』にて司会をされていた堀田龍也先生といい、「この人頭いいなあ」と肌で分かるような人に出会えると、こっちもワクワクする
    ディベート関係者にも「この人の頭の回転は速い!」とうなってしまう“切れ者”が多く、それだけでもディベートに関わっている意義を感じる。
    やっぱり、頭のいい人との出会いは、いい
  • 本屋でPCの雑誌(買っていなかった今月号)を買う。
    文房具店に寄ったんですが、色紙用のファイルがないとのこと。
    薬屋さんでBOXティッシュを買って帰る。
  • 充実感を感じつつ、お夕寝(^^;
  • 日付的に今日中に、Blogを更新する。
  • そして、この記事を書き終わると、高3二次講習用の予習再開!
    埼玉大学の過去問が、数学的要素も絡んでいて難しさをかもし出している!
    うーん、うーんと、うなりながら、これを解かねば次の仕事に移れない(T_T)
    頑張れ!>自分

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2007.02.04

充実の…上京

 土曜日より上京しました。

 『教員1人1台時代のICT活用フォーラム』に参加し、今後に向けて、示唆に富むお話しをたくさん聞くことができました。

 ディベート甲子園OBOG会の、関東在住のスタッフの方々の何名かとお会いし、今後について語り合うことができました。新しい企画についてその方向性等について見出すことができたり、●○についてのアドバイスを頂戴して、非常に有意義でした。

 札幌北光教会時代の青年と久しぶりに会い、『相田みつを美術館』を見学することができました。心の洗濯が出来ました。

 ディベートラバーズの須田君と会い、1時間ほど、ディベートについて、また、ラバーズの取り組み等について、語り合いました。これも有意義でした。

 そして・・・

 ・・・まさか新幹線が強風で3時間半も遅れる、というのが最後のオチとなるとは!

 大宮駅のホームは寒く、待合室に降りて待っていました。

 運行再会の放送を聞いたときの嬉しかったこと(T_T)

 明日が本校の高校入試なので、今日中に帰宅できて良かったです!

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2007.01.27

黄金律の“2つの向き”とコミュニケーション

 前回、いじめという問題は、歪んだコミュニケーションの典型例という捉え方をしなければ解決しないのでは、という観点で記事を書きました。その観点から考えると、いじめ、そしていじめに至らないなくても人間関係のこじれの中心に、『黄金律』を守れない人(もう少し具体的にに言えば自己中心的でかつ相手がストレスに感じていることも理解できない人)が存在するのではないか思われます。
 加えて、憲法9条を改正するなど、国同士のコミュニケーションのこじれを“武力”で解決することを是と考えようとしている現在の日本が、その自国の教育機関である学校に「いじめをなくせ」と言うことは、そもそもコミュニケーションのこじれを解消しようとする姿勢ではないのでは?ということを付け加えています。要するに「学校に文句を言う方々や国には、そもそも自分で何とかできる(いじめなどのコミュニケーションのこじれを解決する)土台がないのでは?」という疑問が沸いた、ということです。

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 さて、その記事にコメントを下さった、池田修さんから宿題に応答します(^^)/

 「自分はカレーライスが嫌いだから、子どもに食べさせない」という親がいると、子どもは可哀想ですよね、確かに(^^;

 さて、この事例「子どもが嫌がっていますよ。子どもが嫌がることは極力さけてあげて下さい」という方向で解釈することも考えられます。
 ただこのとき、子どもが嫌がっているのは、カレーが食べられないこともそうなのですが、「親が子どもの意向や存在を軽視する=子どもを受容する度合が低い=親の自己中心度が高い」ことの方が本質的に深刻な問題だと思われます。

 かつこのことを保護者に「これはまずいから改善を」と指摘することも、重要なのですが、その指摘により、保護者と教員(などの指摘する側)との関係がこじれることが予想されます

 そこで「子どもの喜ぶことを考えてあげましょう」と、前向き=ポジティブな指導をすることによって、知らず知らずにネガティブな行動を抑制することが可能となります。「保護者と教員(などの指摘する側)との関係がこじれる」という明確なデメリット(今後の教育活動等に悪影響を及ぼす可能性が高まる)を避けることができるので、より良いプランと言えます。

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 上記の事例を踏まえて、黄金律について再び考えます。
 まず、黄金律には、“2つの方向性”があります。

http://www.nuclear.jp/~madarame/lec1/gold.html より
>ある行為がモラルに反しているかどうかの判定方法の一つに、「その行為を他人がする
>とき受け入れられるか」「自分だけのための例外を作ってはいないか」を問うことが行
>われる。普遍化可能性の規準に照らしてどうかを判定するわけである。

>この考え方を定式化したものが黄金律である。黄金律は次に示すように、ほとんどの宗
>教的道徳的教えの中に現れている。

>細かいことを言うなら、「自分の望むことを人にせよ」と「自分の望まないことを人に
>するな」とではベクトルの向きが逆である。日本人はどちらかというと後者のように考
>え、アメリカ人はどちらかというと前者のように考えるというと言い過ぎであろうか。

 2つの方向性がある黄金律は、いずれも本質的には「より良い、望ましい人間関係の形成」という、同じゴールを目指していることが分かります。

 ですが、結果は多少のズレがあることに、丁寧に着目します。

  • 「自分の望むことを人にせよ」 は マイナスの現状 を プラス にする。
  • 「自分の望まないことを人にするな」 は マイナスの現状 を ゼロ にする。

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 いじめの解決を、現場レベルで考えます。
 すると「自分の望まないことを人にするな」を選択することが望ましい、というのが私の見解です。

  • すぐにできる(気が付いた人がやれば良い。協力者を必要としない)
  • 即効性が高い(ストレスの原因が取り除かれれば、そのストレスは生じない)
  • 簡単(望ましいことをするにはスキルが必要。つまり「余計なお世話」の可能性も…)

 前回書いた通り「死を招くいじめ」がなくなることだけで相当重要なのです。
 ですから「自分の望まないことを人にするな」だけでも、特に「自分だったら生きていけないよ」ということを他人にしないだけで十分です。

 ただし、これは“マイナスの現状 を ゼロ”にしているに過ぎないことも見逃せません。(ここが池田さんの指摘!)

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 マイナスからゼロに改善された現状が、再びマイナスに至らないためには、“プラスを生み出す環境づくり”は確かに重要で、そのために「自分の望むことを人にせよ」という指導は大切です。

 ただし、その指導と同時に、「自分の望むこと」=「相手の望むこと」かどうかを検証できるスキルを高める必要があります。

 ですから、その指導をすることができる条件を考えると、

  • 指導する側に、そういった指導をするスキルがある(池田さんは絶対大丈夫!)
  • 指導する時間をかけるゆとりがある

の、少なくともこの2つが満たされている必要があると思われます。
 いじめの解決、特に「死を招くいじめ」の解決には、“生徒の成長を待つ”ということに時間をかけるわけにはいかない、ということですね。

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 逆に言えば、時間があるのなら「自分の望むことを人にせよ」という指導を継続させ、社会全体が良いことを生み出す土台を築くことが大切です。

 その役割を担っているのが「宗教」などでしょう。

 本校はミッションスクールですので、たまにこのような話もできます。
 実際に面と向かって、「自分の望むことを人にせよ」という話をするのは、ちと気恥ずかしいことかもしれません。(これが日本人的なのか(^^;?)

 そして、特定の価値に立脚した教育が難しい公立学校では、更に難しいかも。
 ですが、黄金律は普遍的な価値で、人としての常識ですからね。

… … …

 ただ、そういったことを大上段に構える必要なないと思われます。

 あくまで本校の生徒たちを見ただけでの見解ですが、どんな生徒でも「将来は人の役に立ちたい」とか「人から感謝されると嬉しい」といった、基本的な気持ちはきちんと持っている、という印象があります

 ですから「それなら、相手が困っていることを、もう少しわかってやれ」という、さり気ない指導で、クラス単位でなら良い方向に向かうかと思われるのです。

 そういったことをベースに、「いじめの解決を真剣に考えるのなら…」という一連の記事を書きました。

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 なお、教室ディベート連盟の会員等の皆さんがこちらのBlogをご覧であるのならば…
 『トライアングルNo.59 '06年9月号』に掲載された、NADE九州支部副支部長の池田賢治さんの「『思いやり』のすすめ」をご覧ください。

 ディベートはコミュニケーションの競技ですから、その競技への取り組みを通して、ディベーター全員に“他者を思いやる気持ち”を身につけて欲しいと、私も思います。

 更に私は、教室ディベートの普及のコンセプトとして『思いやりを育てるディベート』が良いのではないか、と、こちらで一度、提示しております。
 これを機に今一度ご覧頂けると幸いです。

 以上、長くなりましたが、池田修先生へのお返事、及びこちらをご覧の皆様への補足説明とさせて頂きます。m(__)m

#追伸:池田さん
 宮城野高校の実践の件、乞うご期待(^^) (実はコメントを頂戴したときには既に…)

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2007.01.26

盲人を“段階的に”いやすイエス

 今日は、学校で行われる朝の礼拝の司会です。担当者が順番等を考慮して、クリスチャンの教員に司会を割り振ります。
 聖書は通読で、自分で好きな聖書の箇所を選ぶわけではありません。
 私に与えられた箇所は、マルコによる福音書8章22~26節。イエスがベトサイダの盲人の目を唾でいやす箇所です。

 ところで私は、物理の教員でして、聖書を専門に学んできた訳ではありません。
 そこで、千人以上の中高生を前に話をするために、前日に予習をします。
 『説教者のための聖書講解』という本が教員用に購入されています。生徒たちにすると“教科書ガイド”みたいな本です。この本では、聖書の箇所を割り振って、複数の(結構な人数の)牧師が解説しているのです。

 私に与えられた聖書の箇所を解説しているのは、偶然にも21年前、私が中学2年で洗礼を受けた際に、私に洗礼を授けて下さった牧師先生でした。
 これが結構感動です。
 当時教会学校で仲の良かった3人がいたのですが、21年前、函館教会からその牧師先生が異動されるということで、「俺達、いつか洗礼を受けるよね」「うん」「どうせ洗礼を受けるなら、今の牧師先生から受けたいよね」「うん」「じゃあ、今年のクリスマスがラストチャンスだから、今年のクリスマスに洗礼受けちゃおうか」「うん、そうしよう!」…と、3人で洗礼を受けたのでした。

 そこで洗礼を受けていなければ、今こうして、東北学院というミッションスクールで教員ができていたか分かりません。

 後日談が2つ。
 うちの妻が今、『三浦綾子読書会』で活躍しているのですが、そこで知り合いになった女子聖学院のK先生が、なんと、その牧師先生を招聘した役員を、異動先の国分寺教会でされていた、ということです。洗礼を受けた側と招聘した側の2人が、何の因果か、うちら夫婦の仙台での行きつけのお店で飲んでいる、その巡り合わせに驚いたのです。

 もう一つ。
 ディベート系の人は感づいたと思いますが、女子聖学院と言えば、言わずと知れた、筑田先生がディベートに取り組む学校です。私も生徒を引率して、何度も訪れたことがあります。
 実は、その牧師先生のご婦人は、人格的にも非常にできた方で、僕ら悪ガキ中高生は本当に育て導いてもらったという御恩でいっぱいなのですが、その牧師婦人が、なんとまあ女子聖学院出身なのだそうです。
 そんな21年前から繋がりがあったとは…これも神様の御計画なのかと驚いたのです。

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 そして、今日、その牧師先生が書かれた講解を元に、話をします。
 この箇所は、他の福音書では取り上げられていません(新共同約聖書ですと、カッコ書きがないことからすぐに分かります)。それは、イエスが盲人を、1度ではいやせずに2度、段階的にいやしされた話だからではないかと言われています。

 ですが、この、2度の施しでいやされたことが、このマルコによる福音書の文脈では重要だと言うのです。
 この箇所の前は、有名な4千人に食べものを与える箇所、人々がしるしを欲しがることを嘆く箇所、ファリサイ派の人々とヘロデのパン種に気をつけるように言っても弟子たちが悟らない箇所です。
 これらの箇所ではそれぞれ、まず、弟子たちや群集が悟っていないところから始まります。例えば4千人に食べものを与える箇所は、僅かな魚とパンとでは人々を満たせないだろうと疑う、という点が描かれています。
 それを受ける形で、ベトサイダの盲人の目をいやす箇所が描かれます。

 ここで大切なのは、一度ではいやされない目を、更にイエスは手をあてて、はっきりと見えるようにして下さったということです。
 いやしは困難であって、だからこそ見えるという奇跡は大きいのです。
 イエスは困難であっても、目の開かれない人に、何度でも手を差し伸べて下さり、最終的に見えるようにして下さるということです。
 つまり、一度では悟ることができない人々、そして私達にも、イエスの導きは何度も訪れ、最終的に見えるようにして下さることを強く証ししている箇所なのです。

 21年前の中学生だった私には何が見えたのでしょうか?少なくとも、見えるように導いて下さった牧師先生がいました。
 いま21年経って、教員になった私が、再び同じ牧師先生の導きを受けて、生徒たちに“同じように見えるようになれ”と呼びかけることとなるとは、21年前の洗礼を受けたときには、全く想像もしていませんでした。

 今の私にも、見えていないことが、まだまだ山のようにあるのだと思いますが、こんな私にも見えない力が、これからも何度もはたらきかけて下さって、より見えるようにして下さるのでしょう。それを昨日は改めて、信じることができました。 アーメン、です。

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2007.01.07

あの頃の論題を考える…「携帯電話」

 実は、「あの論題では、本当はどんな議論をすれば良かったんだ?」という宿題が、いつも心の奥にあります

 古新聞を読みながら、「今度あの論題をやることがあったら、この記事を使ってやる!」というものを見つけたら、切り抜いて、『いつかきっとエビデンス』という袋に入れています。

 今回、「日本は未成年者の携帯電話使用を大幅に制限すべきである。」に関する記事で、「携帯電話の電磁波ではがんの発症率が上がらない」という研究データが見つかりました。

 当時のディベートを聞いて「その資料で言っていることは科学的には本当なのかなぁ?」と疑って聞いてしまうケースがありました。理系の教員なので(^^ゞ 科学のの立証と、ディベートの立証とは違うのかなとか思ったり

 そういう感じで、過去の論題に関する新しい情報なども集めてみると有意義なのかな、と思った次第です。

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追伸:1月7日の普通の日記

  • 本日は教会にて司会を担当。ミスはあったが、何とかこなす。
  • 妻は礼拝当番
  • 僕は礼拝後、役員会
  • 続いて、役員懇談会。教会に着いたのが9:30。教会を出たのが19:00
  • そこで、僕の自宅の食洗機が「食塩で洗う」ことを言うと、「塩水で洗うの?」とか「塩素じゃまずいんじゃない?」とか言われる。違うって!…でも、僕も「なぜ塩で食器類が洗えるのか」の原理が説明できない。ネットで調べてみよう。

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2006.01.28

らい病も、私達の心も

 日付的に昨日の朝の礼拝は、アメリカから来ている宣教師の先生が担当でした。
 ルカによる福音書5章:12~16節、「らい病を患っている人をいやす」のところです。
 現在では「ハンセン病」という名称を用いるべきところでしょうか。

 その先生のメッセージ。

「私はあなたがたにイエス・キリストを紹介します。
 イエス・キリストは、救い主です。
 イエス・キリストは、全ての力(power)を持っておられます。
 らい病…ハンセン病とも言います…を癒す力もあります。

 この皮膚病は、本当に重いものです。

 一方で私達の心は、傲慢、妬みなどで、とても醜くなっています。

 重い皮膚病ですら癒すことのできるイエス・キリストは、私達の醜い心ですらも癒して下さる、そういう力を持っています」

 

 アーメン。主よ。私の心…覆い隠されている醜い部分…を癒し、まっすぐに整え直して下さいm(_ _)m

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2006.01.17

タダはすごい…“拾う神”達

 私が通っている日本キリスト教団仙台北教会では、秋にバザーを行ないます。
 バザーの収益は、教会に入りません。
 クリスマス献金も、教会に入りません。
 上記二つを合わせて、外部のいろいろな施設に献金します。

 バザーの品物を買うということは、おまけつきの献金のようなものです。バザー委員長として「近所で身近なボランティア」だと思いました。
 それは学校で、ボランティア担当であることも影響しているかもしれません。

 ただ、全てがバザーで売りさばかれるわけではありません。
 そうすると、売れ残りのものが、教会のある場所を占領することになっちゃいます。
 そのようにして、何年も教会に残っている物品が結構あったようです。

 今年のバザー委員会では、何年残しても売れない物品は処分しよう、ということになりました。

 ただ、少しでも収益が上がるようにと、例年、ある週の礼拝後に『ミニバザー』と銘打って、処分市のようなバザーをします。今年も1月8日(日)、値札の半額が基本のたたき売りバザーでした。そもそも売れ残りであるにも関わらず、四千八百円以上の売り上げがありました。物品も結構減りました。ただ、更に残った物を仕分ける元気が、バザー委員のメンバーに足りなかったので、「来週もやりましょう。で、その時に、処分する物、リサイクルに出す物、来年に残す物を仕分けよう」ということになりました。

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 で、15日(日)に、ミニバザーⅡを行ないました。
 基本的なスタンスは、「仕分けをしている最中にめぼしい物があれば、タダで持って行って欲しい。物が減ったほうが仕分けも処分も楽だ。ただ『タダでは悪いわ~』という方は、お気持ち分、置いていって欲しい(^^;」というものでした。
 教会員の皆さん、笑いながら、ミニバザーⅡの場所に来てくれました。
 それも思った以上の賑わい。
 皆さんタダだと来ますね~
 ま、何はともあれ、バザー委員長としては、来てくれる皆さんが笑顔で賑わっているのであれば、幸せですよ!

 そして、タダが基本のはずなのに、お気持ち分の献金が集まると二千九百円以上!
 タダのバザーでこの献金額は奇跡だと思いました(^^)

 物が相当減ったので、仕分けも楽でした。
 来年まで教会に残すのは段ボールに半分。
 その他、段ボールに1箱半くらいの、主にガラス食器が、リサイクルショップへ、ということになりました。

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 「折角だから持って行こう」と、あるお年を召したバザー委員が言ってきました。
 夕方からKANさんのコンサートだったのですが、この段ボール一箱半の物品が始末できるのなら、と、車に積んで、その方とリサイクルショップに行きました。
 車の中で、そのリサイクルショップが「電気屋」ということで心配したのですが…
 なるほど、そこでは家庭用品も引き取ってくれるみたい!
 でも、お店に入ってみると・・・『箱から出していないもの』『メーカーの名前が入っていない物』と、引き取る条件が決まっていて…引き取って頂けたのは3品(T_T) 1*0円…(T_T)

 「仙台駅の裏にもあるんだ。『じゃん○ラ』って言って・・・」
 「すいませんがそのお店は、中古パソコンを引き取るお店では…」
 「そうそう」
 「でも後ろに積んでいるのは、食器類で…」
 「でも、何でも引き取ってくれるって言ってたよ」
 「何でもっていっても・・・そのお店で何か引き取ってもらったことありますか?」
 「おう、引き出物(の食器)を引き取ってもらったことがあるぞ!」
 「それって箱に入っていたんじゃないんですか?」
 「うん、そうそう。」
 「それだったら、さっきのお店でも引き取ってもらえたのでは?今積んでいる食器は、バザーの残りですから…」
 「うーん・・・」

 いやあ、前日の夜、西部 直樹著『 「議論力」が身につく技術』の中にあった、『論理的でない相手と実りある議論をするために』の章を読んでいて良かった・・・

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 ということで「じゃん○ラ」は最初から行かないことにして(^^;、私が知っている別なリサイクルショップに行ってみたら…もうそのお店は、跡形もありませんでした(T_T)
 「最近は食器も使い捨てだからなぁ・・・」←それだから引き取ってもらえないって分かりますよねえ(^^;

 その方を仙台駅近くで下ろして、車の後ろには段ボール一箱半の食器が残りました(T_T)

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 今日は本当は、ホームレスの方々の支援している方々のところに持って行こうかと思っていたのですが、残念ながら食器は余っているので引き取らない、とWebサイトに書いてあって、最初から持って行くのをあきらめました。

 明日のゴミの日に出すしかないのかなあ。
 ごみにするくらいなら、来年に幾つか残したほうがいいのかなあ。
 仕分けで時間がかかるなあ。

 ・・・と考えながら家に帰ってきてみると、ポストにリサイクルショップのチラシが!

 「をを、捨てる神ありゃ拾う神有りだ!」

 電話して、閉店間際、ギリギリ到着!

 品を見てもらうと・・・
 「(品質が悪いので)全て無料でよければ引取りますが

 願ったり叶ったりです!

 向こうの方も喜んでいたように見えました。(出張もせず、タダですからねえ)

 リサイクルグッドウィル・仙台中田店』様、ありがとうございました!
(皆さん、「それはいいことを聞いた」と変な物を持って行って、営業妨害をしないように!)

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 なお、そんな私に昨日、先輩の先生が、「自宅で使っている古いノートパソコンがあるんだけど、もしそのデータを完全に消してくれるなら、そのノートパソコン、タダであげるけど」との申し出。

 それも願ったり叶ったり!
 妻のノートパソコンがWin95からWin2000に出来る!

 タダってすごい!

 そして、神様は本当にいる!
  神様が“拾う神様”に出会わせてくれたような3日間でした!

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2006.01.15

KANさん…ライブ(^^)

 『愛は勝つ』をうたっていた人、と言えば皆さん御理解頂けるでしょうか。

 今日は山あり谷ありの1日(教会でのミニバザーⅡについては、後程)でしたが、何といっても、KANライブに行ったことが大きかったです。

 KANさんは北海道のSTVラジオで『アタックヤング』という番組をやっていました。僕がラジオにはまり始めた高校2年生の頃に『アタックヤング』のパーソナリティーになりました。まだレコードだった時代から「僕はCDしか出しませんので、CDプレイヤーを買って下さい」と言っていたのが印象的でした。最初は難しい曲を歌う人だなあ、と思っていましたが、『言えずのI LOVE YOU』は、当時高校生だった僕の心にHITしました。

 その後『愛は勝つ』でブレイクしますが、その時にも僕は「もっといい曲がいろいろあるのに…」とさえ思っていたくらいです。

 ということで、『アタックヤング』でのKANさんのトークを聞いていて、独特のダジャレ・ギャグや、KANさんの価値観に触れていると、歌詞ににじみ出ている奥深さ、おもしろさが分かります(^^)

 今日、ピアノの弾き語りで聞いた数々の曲は、曲自体の良さもさることながら、僕が高校~大学・大学院~結婚と、いろいろな時期を思い起こさせて、感動でした。KANさんの曲はもう、私の中に染み入っていますので、曲を聞きながら、その時その時を一生懸命に生きてきたなあ、と思っていました。

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 また、そのコンサートの会場で、小~中~高校と通っていた教会で一緒だった人とばったり再会して、かなり懐かしかったです。もう結婚していて、お子さんもいるそうで。その人と前に会ったのもKANさんのコンサートだと思うので(^^;。思わず、函館にいる当時の友達に電話しちゃいました。電話の向こうで、僕と同じように懐かしがっている様子に、僕も嬉しくなりました(^^)

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2006.01.09

「ぺったん」という音

 今日も夕食後に1度寝てしまって、只今AM 1:08です。ここ数日、頑張って仕事をこなしましたから。

 たくさんやり残している仕事のうちの最後のほうに、教会でのバザーに関して書きました。
 売れ残り品がありまして、日付的には昨日、それをバーゲン価格で捌く『ミニバザー』を実施しました。
 でその準備のために教会へ早く行ったのですが…教会学校でお餅つきをしていて、埃がたつとまずい、ということで、ミニバザーの準備ができませんでした。
 代わりに、お餅つきの手伝いをさせて頂きました。

 僕が幼稚園~小学校低学年のころ、父方、母方の両祖父母の家で、餅つきをしていたのを記憶しています(合ってますよね?>父さん)。ですが、当時の僕は全く手伝わずに、食べる専門(^^;。
 時代は移り、父方の祖父母の家に「電動餅つき機」が登場。機械がこねるようにお餅を作るんですよね~。
 そのうち、正月のお餅は、市販の切り餅に変わっていって…。

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 で、この年になって初めて、杵と臼での餅つきを体験しました。
 最初にふかしたもち米を杵でこねるのが大変なんですね。初めて知りました。尊敬するK先生が上手にこなしていました。

 実際に杵で、お餅をつかせてもらいました。
 最初は、まだ米粒が見えるところを狙ってついていましたが、先生が「もっとおもいっきり」ということで、よしと頑張ってつきました。

 教会学校に子どもを連れてきているお母さんとその子どもが見学していて、お母さんが「ほら、“ぺったん”て聞こえるね」と言いました

 そういえば、この正月の風物詩の音、いろいろな歌で歌われる“ぺったん”という音。

 実際に「ああ、“ぺったん”って聞こえるな~」と思ったのです。

 もち米がつかれて、お餅になってきて、それを杵で力強くついた時に聞こえる音が“ぺったん”なんですね。(←弱いと聞こえない)

 こういった教会学校のこじんまりとした集まりで、守られて欲しい正月の伝統の音が守られている、と感慨深く感じたのでした。

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2005.09.19

高齢者からの強烈なメッセージ~反戦

 昨日教会では礼拝後、『高齢者を祝う会』が行なわれました。

 77歳以上の方が6名お祝いされたのですが、その6名の方から、「初恋の想い出」「終戦の時に真っ先に考えたこと」「~~(忘れました)」の3つのテーマから1つを選んで語ってもらう、という企画があったのですが、全員が「終戦の時に真っ先に考えたこと」を選びました。

 最初のお二人が、手短に話しをまとめ、次の一人がちょっと話題がそれつつも短くまとまったのですが、その次からのお三方が凄かった。

 「話すと長くなる」と言いながらのA先生、既に女学校を卒業されて教員をしていた頃のお話。終戦の瞬間は「心の中で『万歳!』と大声で叫んだ。でもそれを口にするとどうされるか分からない社会だった」とのこと。疎開の話や当時の人々の話が続いて長くなった頃、「時間をとって申し訳ない。でも、今会場にいる人はほとんど戦争知らないでしょ!」という一言で、全員がお話しを聞かせて頂く体制に。

 戦争の体験談を生で聞かせて頂くのは、私のように若い世代にとっては、本当に貴重です!

 次は、牧師の娘だったKさん。「『非国民』と言われて生きることがどんなに辛く、どんなに自分を小さくしていたか…」と語りました。
 終戦の瞬間に思ったことは「悔しい」と。負けたことでなく、「どうせ負けるなら、もっと早くに負けてくれれば、と。みんな辛い思いをしていたのに。」ということだそうです。
 終戦の日は家に帰って、電灯にかぶせていた幕(灯を外に洩らさないようにするもの)を取り外して部屋を明るくし、平和を喜んだそうです。でもしばらくして「Kさん、まだ部屋を明るくしちゃダメですよ」と言われて元に戻したとか。実は、8月15日から10日後くらいに、部屋を暗くしろという命令が解除になったのだとか。
 坂の上から仙台市内の街並みを眺めた時に、ぽつりぽつりと、灯が外に洩れる家が増え始めたのを見て「ああ、平和になったんだな」と、今でもその坂を上ると、その時の気持ちが甦るそうです。

 最後の方は、私が尊敬する女性のS先生。
 「8月12日。東京駅でようやく広島行きのキップを買って列車に乗りました」という出だしを聞いた段階で、その後の展開が読めました…。

 広島に近い駅から列車に乗り込んだ人が「負けた・・・」と呟いていたそうです。列車の乗客は、状況が分からず、その人をなじったりしていたそうですが、段々と「負けた・・・」と語る乗客が多く乗ってくるようになり、東京からの客も、国の状況が少しずつ分かってきたとのこと。

 広島市街の北にある駅から市街地の南側の港まで見渡せるほど、その日の広島には何もなかったということです。

 骨組みだけで、今も現存する原爆ドームも、骨組みだけになった電車も、その日、見ながら歩いていたそうです。驚くべきことに、S先生の御実家は、爆心地からほど遠くないところにあったとか。
 で、道も何も破壊されているところを、「恐らくこっちの方向だろう」と思いながら、でも「どっちですか?」と聞ける人が誰もいない中を・・・おびただしい数の死体が横たわる中を、失礼と思いながらその死体をまたがせてもらいつつ、歩いたそうです。
 真っ白い白骨が、横たわっていたそうです。後から聞くと、完全に健康な人が焼かれると、あのような真っ白い白骨になるのだとか。
 広島市街を流れる川にも、おびただしい数の死体が浮いていたとか。

 で、その爆心地に近い御実家に、被曝特有の症状…“黒い雨”で髪が抜け落ちたり、皮膚がふくれたりしていつつも、お姉様が横たわって、生きておられたそうです。

 弟が臨終間際だという電報が届いても、学徒であり、後輩達を守る責任のある立場にいるために「敵機は今も上空を飛んでいるんだぞ」と先生に叱られて、行ってやれなかったこと…
 軍需向上で働いていて、金属の切り屑が目に入り、手術をしたこと…
 学徒出陣で神宮球場に集められたことなど…

 ・・・終戦の瞬間は、全てを思い出しながら、被曝した広島の街を歩いたそうです。

 それを踏まえてS先生は「疑問におもったことに『なぜ?』と、自分の口で自由に意見が述べられる日本である必要性」について、強く語られたのでした。

 その娘さんが「母は今でも、その死体があった川を電車で渡ると、涙がこぼれる。それは、広島に住む別な方でもそういうことがある、と聞く」と言っていました。

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 会の司会の方が「このような貴重な話をして下さっているのに、時間で区切ってしまうことを申し訳なく思う。ゴメンナサイ。別な機会に、戦争体験についてお話を聞かせてもらう場を設けてもらうように(担当の方)お願いします」と話しました。

 会はその、S先生の娘さんが、素晴らしい歌声を聞かせてくれて和やかに終わったのです。

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 私は今年、高校2年の理系の担任として、研修旅行で広島に行きます。
 既に原爆記念館は見学したことがあるのですが、改めて、心して学んできたいと思います。

#なお、原爆記念館を見学したのは、我がチームがJ1の時のバスツアーの時であり、午後からの試合のところ午前中に見学したことは伏せておく。
 更にその試合は、我がチームの人気FWだった藤吉信次が劇的にVゴールを挙げて、広島をJ2に降格させる(1年でJ1復帰)きっかけになった試合でもあったことを言いたい衝動に、私はかられているのだが、この場の空気を読めばそれは言わない方が良いと判断される…。

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2005.07.18

激務→現実逃避!!→立て直し!

 先週一番大変だったのは、奨学会の準備です。生徒の成績通知書を準備したり(本校は手書きです)、生徒の成績を分析して、保護者の方に学校のことや生徒のに関することを説明できるようにしておく必要があります。タイヘンでした。

 もう一つ大変だったのは、夏休み中に行われる保育ボランティアの準備です。前任者から引き継いだ企画なのですが、本校生徒が保育園に行って、子ども達の遊び相手等をします。これが、定員枠以上に参加希望者がいる関係で、保育園への打診や、生徒間の調整のため生徒を呼び出したり(呼び出しのための作業があったり)等で、これもタイヘンでした。
 1学期中に生徒を確定させたり、検便(O-157の検査)が必要だったりなどあるので、この作業は終業式の水曜日までタイヘンです。

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 15・16日が奨学会でした。
 ということで、クラス32人の保護者お一人お一人と話をするため、金曜日の午後と土曜日の午前とは、完全に時間が取られました。
 また奨学会後も、疲れのため爆睡でした。

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 17日(日)の午前中は、教会です。
 仙台に来て10年目、初めて教会役員になっています(教会内の選挙で)。
 バザー委員会の委員長になっていて、17日のお昼にバザー委員会を開きました。午後1時近くまで、短時間ながら有意義な意見・改善のアイディア等を頂戴できました。

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 で、教会から帰宅したのが午後1時45分くらいでしたでしょうか。
 この時間ではもう、事前準備(飾りつけ)には間に合わないのです。

 ですが、開門時間目がけて、家を出ました。
 私がでかけてばっかりのために淋しがる妻のことを考えると、後ろ髪を引かれる思いがするのですが、ディベート部のために満足にホームゲームに行けていない私は、他のメンバーにお世話をかけている点で引け目を感じていますので、できる限りのことをしなくてはなりません。
 開門時間に間に合って、入場後すぐ、「棲み分け」の呼びかけをします。
 「通路下は90分間立って声出しっぱなしで応援します。熱く応援したい人は通路下(前の方)へどうぞ。試合をじっくり見たい方は、見晴らしのいい通路より上の席へ御進み下さい」
 これが、仙台スタイルで応援するコツです。「見えねぇ」「座れ」とか「声出そう!」「うるせぇ、指図は受けねぇ」と、サポーター同士で揉めると、統率の取れた大きな応援は形作られません。自分のスタイルで応援できる席に、各自で行って棲み分けるのが大事であり、私達の目指すところです。

 で、長くは語りませんが  4-0  で 大勝 & 完封勝利!

 その後、仲間で飲みに行きました。(ホーム&アウェーの参加率が低い私が、仲間とのコミュニケーションを回復するためにも参加することが大事なので…)

 しばし、仕事がたくさん残っていることを忘れさせて頂きました!

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 今、学校にいます。
 午前中は部活動をして、本校の肯定側立論の意図をみんなで確認&共有しました。

 ということで、今になってようやく、残された仕事を考えるゆとりが生じました。

 これから、どういった仕事が残されていて、どういった順番でこなしていけばいいのか、一旦整理します。

 心身共に立て直して、更に仕事です。

 夏休み、授業はないですが、やはり仕事を頑張らねば、と思う次第です。

 多くの方々にご心配、ご迷惑をおかけしていることをおわびしますm(_ _)m

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2005.05.29

人生を学ぶ …三浦光世氏、来仙

 教育実習生への指導、クラスのこと、授業のこと、と、時間が奪われるように過ぎ去っています。
 ですが、私以上に大変なのが妻でして、明日、仙台YWCA主催の『三浦光世講演会~妻 三浦綾子と生きた40年』が、仙台市青年文化センターで午後1時から開催されるのですが、その裏方の主要な部分を引き受けており、ここ数日、本当に自分をすり減らしながら準備の仕事をしています。
 僕もプログラムのワープロ打ちやOHPシートの作成、会場で流すMDの編集など手伝いました。またゴールデンウィーク中には、チケットの作成などもやりました。

 本日午後7時40分に、旭川より三浦光世さんが空路お越し下さりまして、うちの車で迎えに行きました。一緒に食事を取り、先程ホテルにお送りしたところです。
 現在81歳、年に70本も講演されて「お体は大丈夫なのだろうか」と心配してしまいます。

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 三浦綾子さんのことは少しは知っていましたが、理系人間なもので、作品は1本も読んだことはありません(^^ゞ
 一方でうちの妻は、三浦綾子作品のファンで、相当読んでいます。

 そんな私が、三浦光世さんと初めて会ったのは、新婚&挨拶旅行で北海道を一周した時のこと、旭川六条教会に出席したところ、永年記念礼拝で三浦綾子さんが紹介されている時(つまり、お亡くなりになられた次の年)に、「ああ、旦那様だ」とお見かけしたのが最初です。
 その時はお話もできなかったのですが、友人と食事をして、その後で『三浦綾子文学館』に行った時に、綾子さんのお墓から戻ってこられた光世さんに再びお会いし、お話を伺うことが出来ました。

 光世さんから「新婚のお二人に」ということで頂戴した言葉が忘れられません。

 「世の中には、イエス・キリスト以外には『必ずこちらでなければならない』というものはないんですよ」

 夫婦、お互いに譲り合って、共に歩め、という勧めの言葉でした。

 当時の僕(と妻)は、時に激しく意見をぶつけあって夫婦げんかをしていたので、その言葉には“目からうろこ”の感激を覚えました。
 しかも、三浦綾子さんの口述筆記を長年、実際に続けてこられた光世さんの言葉は、ほかの誰からの言葉よりも重みがありました。

 本当に、その感動は、今でも忘れません。

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 時間も遅くなり、長旅でお疲れになったご高齢の三浦光世さんを、どこにお連れして夕食を取って頂こうかと悩んだのですが、お寿司なら大丈夫かなと、味では間違いない近所の『末広寿司』にしました。

 食前のお祈りや、会話の端々から、光世さんはクリスチャンとしても尊敬できる人生の大先輩だと感じられました。

 お店ではお寿司のほかに『鴨鍋』を頼みました。

 「いや~、美味しいです」と、取り分けて差し上げた小鉢の分を食べ終えた後に2回も箸を伸ばして食べて下さったのを見て、私達夫婦は「鴨鍋で大ヒット!」とホッと喜んだのでした(^^)

 今日はゆっくりお休み頂いて、明日の講演、宜しくお願いたします。

 私は学校を年休で休ませてもらって、講演のお手伝い&聞かせて頂きます。

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2005.05.03

戦争のできる国づくり…かぁ・・・

 憲法記念日ですので
  以前から書きたかったことを早めに書いておきます。

 憲法改正論議の中で、今の政治家の皆さんが表立って言いませんが、要するに「場合によっては戦争(に近い武力行使)をすることが許されることを憲法で保証される国づくりをしたい」ということが、ある程度の方々なら薄々感じていることでしょう。

 「それのどこが悪い?」と言う人も、世の中には以外と多いのですよね。

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 そもそも、なぜ、戦争をしたいのか。

 これも表立って言えない目的は「ビジネスチャンスの拡大=儲けたいから」と推測します。

 理由:

  1. 社会が平和で安定に続くと、ものづくりはいずれ終焉する(地球上に新しいものをつくる余地がなくなる)
  2. 今ある物を壊した方が、手っ取り早く需要が形成される
  3. 武力は、実戦や訓練で“使うから”補給が必要になる

 他国の人や物を犠牲にして儲ける、という構図だと理解します。

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 儲かる政策をしてくれる政治家を当選させる、これは、有権者の“悲しい”傾向。
 事実、軍拡路線で経済を向上させた事例がアメリカの「レーガノミックス」であり、小泉政権も同様の路線を狙っていそうだという予測を以前書きました。「二番煎じで“おいしく”日本を豊かにしちゃえ。選挙でも勝てるし」くらいは考えていることでしょう。

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 もう一つ、アメリカはイラク戦争で武力をすり減らし、巨額の赤字を生み、そして、「終戦宣言」が出されているのになぜか戦死者が増えていたり、戦場での悲惨な体験から精神的な苦しみを負っていたりする人が増えている状態で、これ以上“アメリカ1国だけでは戦争を続けられない”状態であることが要チェックでしょうか。
 どこかの国に手伝ってもらいたい → → → その一つが日本、となりますね。

 敗戦後の日本は、アメリカの国債を大量に保有していたり、軍事基地を置いていたりなど、アメリカに逆らえない状態が“やんわりと”形成されていますから・・・。

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 ここで更に。

 アメリカで犠牲になっている軍人さんは、アメリカのどの階級の人なのか?
 アメリカでも“権利があまり保障されていない階級”…アメリカ国内で差別されてしまっているような人が、収入や家族の権利を保証して欲しくて軍隊に志願している、ということを耳にしています。

 つまり「戦争をやりましょう」と言う人は、実は被害がなく、実際に被害を受けている人がいかに痛い思いをしても、その痛みに思いが及んでいないのではないかと思われるのです。

 「華氏911」で、「議員の息子を戦争に行かせる法律を成立させるための署名」というシーンがありますよね(^^;
 「戦争したい=儲けたい」人が「じゃああんたが行ってこい」と言われたって、行くわけないんです。

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 つまりは、世界的な現実とは「相手の痛みが分からない=相手を思いやれないから、戦争をしても平気」という状態ではないかと思われます。

 自国が武力行使されたら嫌なクセに、自分は他国に戦争しても許されるようにしましょう、という発想は何なの、と正直思いますね。黄金律のところでも語りました

 こういうことを言うと「何と愛国心がないんだ」とか言う人がいるんですよ。特にネット上には。(言論や思想の自由も何もないような態度だったりします。国家がそのような態度になったら本当に恐いですね。これも以前語りました

 私はクリスチャンですので、上記のような人の考え方よりは「互いに愛し合いなさい」の方がよっぽど価値が高いというスタンスです。

 ただ私は、「じゃあ警察は拳銃を持つな、ってか?」と言われると、確かにそれはちょっと違うだろう、とも思います。
 「地球市民としてやってはいけないこと」をしているケースに対しては、国際的な枠組みの中で何らかのアプローチが必要かもしれません。それに日本が何らかの形で関わることがあってもいいかもしれません。(このあたりまだ勉強不足です)

 しかしながら、日本という1国で考えるなら、私は1国民として、「戦争できる国づくり」の考え方は決して受け入れることはないでしょう。他の人がどうであれ。

 過去に戦争をしたことがある国なんだから、そこから「何かを学んで変わるべき」なのではないかと思うんですがねえ。

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 以上、自分の思うところを書きました。
 臆せず発信する・・・しかも世界の平和を考えて・・・blogを立ち上げた最初の目的でした。

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2005.03.03

互いに愛し合うことの目的

ヨハネ13:34-35
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、みなが知るようになる。

「互いに愛し合うなんて、きれいごとですよ。それに恥ずかしいし」とか、口にしたことはなくとも考えたことは、当然何度もあります。

 今朝の礼拝で読まれた箇所を、今まで一度も意識したことがありませんでした。
 互いに愛し合うこととは、伝道だったのですね!


  平和を実現する人々は、幸いである。
    その人たちは神の子と呼ばれる。


 互いに愛し合う人“たち”(←複数形!)は、平和を実現できますよね!素晴らしい。


 憎み合ったり、殺し合ったりしている人たちや国々に、このメッセージが伝わらないのは何故だ???

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2005.02.12

すべての人間が揺るがすことのできない“絶対的な価値”

マタイ22:36-39 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。 第二も、これと同じように重要である。『隣人を同じように愛しなさい』」

 ルカによる福音書ではこの後に、善いサマリア人の話が続きます。
 マルコによる福音書では、律法学者がそれに賛同する様子をイエスが認めた後、「もはや、あえて質問する者はなかった(34節)」となっています。

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 「神を愛する」…ことができれば幸いです。
 「隣人を愛する」…ことができて欲しい。でも、“言うは易し。行なうは難し”でしょう。

 で、普通の人でも比較的簡単にできるのが
 「自分の望まないこと、されて嫌なことは他人にはしない」ことでしょう。

  『黄金律』と言われます。

 自分がされたら嫌なくせに、それを“平気で”他人にしちゃう人、その時の他人の痛みに気付けない人って、たまにいますよね。不幸です。

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 昨日は「2・11信教・思想・報道の自由を守る宮城県民集会」の講演を聞きに行ってきました。講師の笹川紀勝氏(国際基督教大学教授)のお話は、話の構成が優れていて、非常に分かりやすいものでした。後程、要旨・感想等をアップできたらと思います。

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 ニュースではほぼ毎日、見聞きします。

  武力行使をする国のこと。
  殺人をする人のこと。

    自分がされるなら嫌なくせに。

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2005.02.02

目が開かれる

 学校の朝の礼拝で、今日はヨハネによる福音書9章が読まれました。
 「生まれつきの盲人をいやす」ところです。

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「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」(2節)
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。(3節)」

…その通り。因果関係ないですって。
 ま、科学にも、そういった罪といった社会的な観念から“客観的”になり、真の因果関係だけを取り出すはたらきがあるのですよね。

「神の業がこの人に現れるためである」

…をを!

 今日の宗教主任によるお話しでは、この盲人が人々からの「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」という問いに「あのかたは予言者です(17節)」と答えたことを指摘。
 そして、イエスはこの人の目を開いて下さっただけでなく、イエスを予言者と告白できるほどに、“心の目を開いて下さった”と。


 そうなんですよ。
 正しいものを正しい判断できる知恵と感性が欲しいんですよ!

  その知恵と感性と“恵み”によって開かれる“心の目”で、社会の正しいものを見分ける力が欲しいのですよ。


  私も、自分の“心の目”が、もっと開かれたなら、と、強く願うのです。
  そのために、このblogを始めたようなものです。

#科学は、因果関係の確かさを示すもので、
# 「良い」とか「悪い」といった観点がありません。
#(例:原爆で人が死ぬのは<事実>ですが
#    科学ではそれを「良い」とも「悪い」とも記述しません。)
#何を「良い」と判断するのか、は、人の倫理観に左右されます。
# まさに「でぃべーたぶる」なところです。
#ですが代わりに宗教は「私達にとって良いものは何か」を提示してくれます。
#そして私は、クリスチャンなのです。
# 自分を振り返っても、今でも、クリスチャンで良かったと思っています。


  私にも導きがありますように。アーメン。

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2005.01.30

丁寧に問いを詰める

 東北学院中高では、毎朝、中学1年生から高校3年生まで、6学年全員が礼拝堂に集い、礼拝を守ります。
 違う形態の時期もあったと聞きますが、今では“毎日・全員で”が伝統です。
(これをしているのはミッションスクールの中でも少ない方、かな?)

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 数ヶ月に1回、私に、礼拝司会(証しも行なう)が回ってきます。
 1月15日(土)センター試験の日に、ヨハネ7:10-24の箇所を担当することになりました。(本校では聖書を通読していて、どこの聖書の箇所を担当するかを、司会が決めることができません)

 聖書を読んだことのある方はご存じだと思いますが、ヨハネの福音書を証しするのは難しい(^^;
 そこで、本校の聖書科の先生が持っていた、加藤常昭著『ヨハネによる福音書 講解説教2』(ヨルダン社)を参考に証しを考えました。

 ヨハネ7:10-24は、イエスとユダヤ人が議論するところです。仮庵祭(かりいおさい)といって「エジプトから脱出したばかりで現在は借り住まい(テント等)ではあるが、今後もエジプトから民全体を救って下さった力ある神に心を委ねる」ことを記念するお祭りであるにも関わらず、その救われたユダヤ人は、イエスを殺そうと狙っているのです。

 イエスは「私は神から遣わされた。神を信じるなら私を信じるはず」と主張します。
 ユダヤ人は「あなた(イエス)は群集を惑わしている」「あなたは悪霊にとりつかれている」と主張します。
 ・・・かみ合っていません(^^; 特にユダヤ人は「理解出来ない→悪霊だ」と、根拠なく断定するもので、誉められたものではありません(^^;

 イエスは問います。「なぜ私を殺そうとするのか(19節)」
 ユダヤ人は「誰があなたを殺そういうのか」とごまかしますが・・・『ヨハネによる福音書 講解説教2』には「この箇所にユダヤ人がイエスを殺そうとした理由がある」と説きます。

 簡単です。「ユダヤ人はイエスに腹が立った(23節)ので、殺そうとした」という解釈です。

 腹が立ったから、殺す・・・なんとまあ、今でも繰り返されている構図です。
 人間個人の狭い視野の中だけの判断で、人は他人を殺すのですね。2000年前も今も。

 「理解できないものは排除すべし」では、いつまでたっても「神の愛には達しないのは明らかです!」

 イエスの「なぜ、私を殺そうとするのか」という問いは、私達人間全体に問われていることに気付かされます。

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 議論が嫌いという人や、議論を避けて通る人、議論がうまくできない人、いろいろいるでしょう。

 証しの準備の時、『ヨハネによる福音書 講解説教2』のある箇所に目がとまりました。

「(結局ユダヤ人はイエスを十字架の上で殺すに至ることを踏まえて)なぜ、誰が、神の愛を殺したのか、丁寧に問いを詰めることによって初めて、神に愛されていることの深さと強さを知るのです。」

 をを、なんとまあ!

 高校生くらいからでしょうか。たまに真剣に「神様っているんだろうか」とか、考えていました。

 いやあ、今、ディベート部の顧問です。
 確かに、論題に関して、深く問いを詰めることによって、大切な“価値”に気付くことがあります。自分の学びが深まる瞬間があります。


  “丁寧に問いを詰める”ことが、かくも大事なのだと、教えられました。
  御言葉を与えられたことに感謝!アーメン。

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