ディベート甲子園でいつも上位進出を果たすふじ先生が、今年のディベートの実践に付いてまとめられています。その中で、「生徒の自立が早かった。やらされている練習から,自分たちで考える取り組みが多かった」とありました。
羨ましい!
何せうちの部員は、この私でさえもぶち切れるくらいに、高校生とは思えないほどの全く責任感のないメンバーでしたから(T_T)
そこで、ふじ先生の掲示板に「どうしたら自立してもらえるのか」と尋ねたところ、「試合に勝ちたいと思う気持ちを育むこと」というお返事でした。
更に感動しました!
ディベートは議論に勝敗の判定を下します。
そのため度々、勝利至上主義を危惧されました。実はこの私が、第1回のディベート甲子園を紹介したテレビ番組を見て、「このままでは勝利至上主義によって議論のあり方がねじ曲げられる危険性があるなぁ」と思っていました。そのような私の意見に「ディベートに取り組んでいないくせに!」とか「ステージに立ってスピーチすることがいかに難しいか、分からないだろう!」という批判をした人もいました。ですが実際には、私が危惧した通り「勝てればなんでもあり」というダークなディベートが横行しかけたこともあったという認識でいます。
現在では全国的に見ても、「より良いディベートとは何か」が追求されて、落ち着いているとは思います。ディベーター、ジャッジ、指導者のそれぞれによって、ディベートの教育的効果が良い方向に発揮させられているものと思っています。(これについては、直接口頭で、何人かの方々にはお伝えしています)
一方で、ふじ先生の指導(回答)は、勝利至上主義に向かうものではないと理解しております。
では、試合に勝ちたいと思う気持ちを育むために、教員は何といえばいいのか。
私の考える答えは下記の通りです。
勝ちたいならまじめに準備しろ!
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これは、多岐に渡ってかなり示唆に富む結論を、ふじ先生から頂戴したと思いました。
まあ、うちの部員達に対しては・・・曲がりなりにも全国に向けてディベートに取り組んでみて、それでも全敗&惨敗し、帰ってきてからの文化祭におけるディベートでも、現部長は元部長から「進歩が見られない」と言われ・・・別な部員達も、証拠資料を探し求めたりしませんし、ディベートの戦略をみんなで考えたりしませんし・・・その結果として、場当たり的なディベートになり、相手側に対して(今回は相手の立論を事前に頂戴していたにも関わらず…)どのように議論を重ねれば勝てるのかも自分達で見出すこともできず・・・。
取り組みの甘さ、認識の甘さ、他人任せ、顧問任せな体質を、これから半年かけて払拭して頂かなければ話になりません。
口では「勝ちたい」と言いながら、認識が甘ければ行動が伴わないのですよ。
いつまでたっても良い議論ができるようになりませんよね。
負ければ悔しいくせに。
もしくは、負けたという現実からも逃避して、他人のせいにしたりして…
君たちにとって、「試合に勝ちたい」って、どういうこと?どういう意味があるの?
少しは考えたら?
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例えば学校の生徒たちを見ると、「高校は私立だった。大学は国公立へ行きたい」という意見を持った生徒が結構多いです。
でも、「行きたい」と思うだけ、口で言うだけでは、試験に合格は出来ません。
ここでも「行きたいなら、必要に応じてまじめにやれ」としか言いようがありません。
「今出来ない(=解けない)ことが卒業までという“限られた時間内”に出来るようになるのか?」という点を、避けては通れないのです。
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現状のベガルタが、上記にと似たような状態であるなら悲しいですね。
選手は勝ちたいんですよね。
監督も勝ちたいと思っているんですよね。
責任と自覚を持った準備をしているんですか?
選手一人一人の認識が甘いから、強い気持ちが足りないから、走り負けているんじゃないんですか?
何かを払拭しなければ向上が見られない、という状態だとすると、うちの部員達と大差ないでしょうに・・・。
今週末、ホームで勝って3連勝してくれることを、1サポーターとして願っています。
試合をするのは選手なんですから、サポータは頑張って欲しいと願って応援することしかできない、それだけの存在なんですけど、練習等を含めた試合までの準備とか、強い気持ちを持って試合に臨んで欲しいとか、試合中の応援の範疇を越えた部分については、監督始めスタッフに依存するしかないでしょうに。分かってよ都並さん!
ほら、一緒ですよね。
「試合に勝ちたい」って、どういうこと?どういう意味があるの?
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