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2006.02.20

「事実」と「意見」

 AM 4:03です。
 昨日は教会の礼拝の司会でした。夫婦で昼食をとり、妻を送って、自宅に戻って…5時間ほど爆睡!週に1度くらいはこんな日がなければ体が持ちません(^^;

 1時間ほど前まで、木下是雄著『理科系の作文技術』を参考に今週の水曜日の部活で使うレジメを作っていました。 「事実」と「意見」の違いについて理解してもらうためのものです。

 そろそろ(今週…?)今年のディベート甲子園の論題が発表だと思うんです。すると、選手以外のメンバーにはリサーチ等で手伝ってもらうことになると思うので、いたずらに資料をあさるのではなく有意義なリサーチをしてもらうためにも、基本的におさえるべき点をちゃんと伝えておこうと思っているのです。

 え、そのレジメ、見たいですか? …希望者はこの発言にコメント下さい。でも、この記事で要点を出しちゃっています(^^;

 その準備をしていて、気付かされた点がありました!

 ディベートというのは、肯定側も否定側も、“意見を述べる競技”です。

 …“意見以上の正しいもの”とは、下記の段階を経て、“事実”に近づきます。

●仮説:真偽のほどはわからないがそれはテストの結果をみて判断することにして、仮に打ち出した考え)

●理論:証明になりそうな事実が相当にあるが、まだ万人にそれを容認される域には達していない仮説。(進化論、など)

●法則:全ての人が容認せざるをえないほど十分な根拠のある理論
 =>この段階では意見ではなく事実のカテゴリーに分類される。

 正しい法則を追い求めるのが『科学』だと思います。

 よって先日書いた「ディベートでは命題を検証できない」と批判している方は、そもそも“事実”と“意見”の違い…は分かっておられるのでしょうが(大学の先生ですし…)ディベートが“意見を扱う競技”だという認識がないのではないか、ということに気がつきました。

 また「事実」と「意見」の違いについて、更に丁寧に着目しましょう。

☆「事実」は2価→正しいか誤りかのどちらかしかない。
☆「意見」は多価→複数の評価が並立。人によって同意するかもしれないし、同意しないかもしれない。

 よって、ジャッジが下しているのも判断であり、「意見」です。

 先日の批判をよく見てみると、価値的命題に対して「正しい」か「間違っている」かと書いていて、つまりは「ディベートは正しいか否かによって勝敗が決する。ジャッジとは正誤の判断をする人」という誤解に基づいた批判でした。

 ここで木下是雄著『理科系の作文技術』を見ますと、「意見には次の2つがある」とあります。

Ø        sound opinion(根拠のある意見):その問題に直接に関係のある事実の正確な認識に基づいて、正しい論理にしたがって導き出された意見

Ø        unsound opinion(根拠薄弱な意見)

²       出発点の事実認識に誤りがある場合

²       事実の認識は正確でも、論理に誤りがある場合

 ディベートは、肯定側の主張(意見)と否定側の主張(意見)とを比較して、どちらが“sound opinion(根拠のある意見)”であるのかの判断(意見)が下される競技である、と理解すべきでしょう。

 ということで例の批判は、「出発点の事実認識に誤りがある場合」となりますので、それは・・・(以下自主規制)

※逆に考えると、ジャッジの判断も“意見”ですので、多価=複数の評価が存在しうるのです(多解釈)。そこで、いかに自分たちの主張が sound opinion(根拠のある意見)であると認識してもらえるスピーチをすれば良いのか…それを準備することに努力する必要があります。

追伸:Blogを作成したために、昨日、爆睡したにも関わらず再び寝不足になりそうな予感のする私って…??

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コメント

 私もリンク先のディベートに対する批判を
拝読しました。そもそも競技ディベートは、
ジャッジに対する議論の優越を競うもので
あって、命題を検証するものではないという
ことが理解されていませんね。

 「ディベートは自分の意見を絶対に修正し
てはいけない」ということは私がディベート
を始める前に通っていた、スピーチなどを
勉強する話し方教室の先生もおっしゃって
いました。

投稿: 転機 | 2006.02.20 09:31

 転機さん、コメントありがとうございます。
 おかげで、更に幾つかのことに気がつきました。

○なぜ自分の意見(立場)を変えてはいけないのか?

 →相手に同意して立場を変えると、ゲーム性が失われる(肯定と否定に分かれられない。場合によっては「寝返り」と言う…)
 →場合によっては、かなり卑怯!
  「あなたの意見を聞いてまずいと思ったので、プランを変更します」…(^^;シャレニナラン

◎そもそもディベートの命題=論題は、理系で言う「検証=真偽を問う」ものではない。

 →肯定・否定のどちらも一理ある“でぃべーたぶる(debatable)”なもの“のみ”が論題として選ばれている。

◎本来、判定(ジャッジング)は“教育である!”

 →「勝ち負けの判定を出した後に、改めて命題検証のための議論をやり直すことが前提とされていない」というイメージを抱いてしまうのは恐らく、真っ当なディベートの体験がないからだと推測される。
  普通、日本語ディベートでのジャッジは試合後、判定を下す前に議論の評価に付して、次にディベート(試合)をするために考えて欲しいこと、議論の改善点を指摘してくれる。これが「改めての命題検証」に繋がっている。
  教育的なディベートの経験がないと、誤解が生じるのでしょう。


 1ディベーターとして、ディベートに誤解を持った方々に、きちんと説明できるようにありたいものです。

投稿: NAKO-P | 2006.02.20 12:41

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